20150720
2015年 07月 20日
震災前住んでいた地区の面影が嵩上げ工事で、全て見えなくなりました。
ここでずっと一緒に暮らしていた家は全て流されて、住人の多くが津波の犠牲者となりました。
…名前を呼んだら帰ってくるなら何度でも呼んであげたいです。
本当に多くの方達が亡くなった地区です。
避難した当時一体何人が逃げて生き残ったのか。
と周りの人を見て絶望的に思いました。
今山に向かって広い道路が作られています。
四年前その道の付近で見た震災後の高田は海水に浸かり
残った建物が島のように立っていました。
街は津波によって壊滅的になったのに
買い物に行ったスーパーの看板が震災前の平和な街の面影を、鮮やか過ぎるほどに残していました。
あの冷たい水の下 ゴミ溜めのような瓦礫の中に
親しい人 知らない人関わらず沢山沢山冷たくなって埋もれている。
自分はほんの僅差の幸運でそこにいないだけという思い。
退屈なほど平穏な日常が一つの地震一つの津波で、全く無くなる現実を他の誰かに味わって欲しくはありません。
誰にも経験してはいけないことだと思っています。
昨年行われた癒し部に今年も参加してくれた方が
「昨年とはまるで風景が違う」と言っていました。
住んでいる私達にさえも一体どんな現実として、出来上がるのか想像しがたい規模の工事です。
そして被災住人は未だ多く仮設にいても、防波堤や公共施設や道路は着々と出来ていく現状はどこかの首都のよう。
とふと思うのです。
by takata20110311
| 2015-07-20 17:38