一度は壊滅と言われた陸前高田市からの便り


by 御神酒

平坂 悠君へ~宛先のない送辞

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一万人以上の犠牲者を出した東日本大震災から4年。

私の住む陸前高田市では中心市街から、海から離れた沿岸とは言えない川沿いの街まで津波によって被災し

街の住人の数多くが家と家族友人を失いました。


今日は私の中で書いて残しておきたい人のことをアップします。

故人の事を100%知っているわけではありません。

しかし当時彼や彼の家族が亡くなった事実を受け入れられず

また避難所生活の混乱の中彼らの葬儀も火葬にも行けなかった自分のために書いておきたい

また穏やかで自然豊かだった震災以前のこの街に、

彼がいたことを残しておきたいと思うのです。



彼は母親と兄と祖母と被災し亡くなりました。

享年 18歳

春から大学に行くはずでした。

その彼が卒業の年になった今年の3月。

思い立って宛先のない手紙を書きました。



平坂 悠君 へ

 
震災の前日まで一緒だった息子ときっと将来や
進学のことなどを話したのだと思います。


私が息子と「学校の休みには仙台やこちらで会えるね」
と言っていたはずの4年がもう過ぎました。

辛く悲しく早くて遅い

でも確かに会えなくなったあなたやY君に

そっと見守られているなとも感じる4年でした。


君の同級生たちも彼女が出来たりお父さんになったり結婚したり

君たちの可愛いころしか思い出せない私には驚いたり嬉しかったりします。

悠は優しくて紳士的だったからきっと大学でもてたろうね。

そういう話を息子から聞けなかったことが本当に悔しいです。

もしも君が生きていたらと思わない日はありません。

帰省のたびお墓参りに行く息子をこれからも見守ってください。


悠君のお母さんへ

震災の前の2月まるふくで1月ののお兄ちゃんの成人式の写真をもちより集まったね。

仕事柄どうしても式には行けなかったあなたがとても喜んでくれたのを覚えています。

悠もお兄ちゃんも自慢の子供たちで、本当に仲良しの親子だった。

前途有望だった二人の息子を自分と一緒に津波で亡くした痛み。

これからも同じ母親としてずっと一緒にその後悔や悲しみを感じようと思っています。


悠が遠くの高校だったので帰省に合わせて盆正月親子で集まるのを喜んでくれたね。

2011年のお正月の集まりは成長した子供たちが本当に楽しそうだった。

それを見ている親も本当に楽しかった。

中学の時みんな一緒に応援した

野外活センターの地区総体の時間に戻れる時間でした。


震災にしろ別の事件事故にしろ病にしろ

心や体がちぎれそうな悲しみや辛さは時間とともに無くなることも、

減ることはなくてただ美しい鋭い先のある透明な結晶のような塊になって、

深く深く心の中に沈んでいくんだと思います。

その棘は時には奥底に隠した心を突き刺して暖かい涙を流させます。

しかしその結晶の鋭い棘がこれからの私たちの指針になるように護っててください。


出会ってくれて そしてあの日までの愛情をありがとう。


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by takata20110311 | 2015-03-13 22:06 | 日記 | Comments(0)